うす黒い重力を連れ立った夕立から逃げるようにして、三年間ついぞ訪れるはずのなかった図書室へと足を踏み入れた。なんとも手狭な深林だった。林立する頁という頁が、表紙の圧に負けじと、背表紙の拘束に屈しまいと、精一杯の呼吸を震わせていた。そんな鬱蒼とした臭いをよそに、やけに退屈な木造りの椅子には、知らない他学年の人がまばらに乗っていた。あたかも自分の所有物であるかのように乗っていた。なるほど。居心地が悪いとはこういうことか。私の胸に差し込んできた嫌気を遮るように、しかし、硝子窓を叩く雨垂れの音が、私の踵の返すのを許さなかった。教室はどこも懇談で使われていた。視聴覚室も体育館も他の部に占拠されていた。外には当然、出られなかった。
観念した私は受付に会釈を返して奥の方へと進んだ。児童書、学習漫画、環境問題の解説書。いかにも教育的な一角を横目に歩いていれば、いつの間にか、実用書を蓄えた書棚に挟まれていた。用立ては無論なかったのだが、しきりに響く雨音が耳に入ると、その場を離れようなどとはとても思えなかった。冷めた視線を一冊一冊に、大雑把に向けていった。どれも、おおかた職業紹介にとどまった内容だろう、と断ぜられるほどに軽い題を背負っていた。未だ将来設計の一つも立っていない中学生には、何よりもまず選択肢を広げることが先決だ、という有難い示唆に違いなかった。当然、私にも宛てられていたのだが、生憎と関心の外にあった。確固たる指針も持たず、ただ漫然と擦り減らす日々に、これといった確証もなく、私は一種の心地よさを覚えていたのだった。焦りはなかった。学校が、社会が、年齢が、それを許してくれた。大きな流れの中で委ね揺蕩う捨身こそが青春を意味していた。要は、甘えだった。
振り返ってみても感想は同じだった。惹かれるものは特になかった。ただ整然と並べ立てられているだけの家具。それにしか見えなかった。鈍い自然光すら通さずに、真上の蛍光灯だけがしつこく落ちてくる様は、博物館の展示室を思わせた。不思議と隔たりがあった。早々に私は裏路地にも似た小径を抜け、すぐ隣の第二の隙間へと身を滑り込ませた。実用書の次は思想書だった。さも哲学が実用的でないとでも言いたげな表示だった。暇を持て余して物色してみたが、見慣れぬ単語の羅列による目滑りは酷いものだった。聞き馴染みのある哲人の名前も、やはりどこか高尚な修飾がなされていたために、どうにも手に取る気にはなれなかった。己の無知を責め立てられている気にさえなった。その足りなさを恥じるわけでも埋めるわけでもなく、私は言い訳じみた態度で目を逸らしてしまった。
その先には歴史書が年代順に並んでいた。歴史の成績は悪くなかったのだが、視界に数千年もの事跡が収まっていると思うと、興味よりも、むしろ途方もない畏怖が勝った。ただ見上げることしかできなかった。郷土や民俗学に関する書冊もまた同様の棚に敷き詰められていた。少し離れたところには心理学や宇宙物理学、時事問題など幅広く取り扱った箇所もあった。が、あることだけを認知したのち、特別何か目をやることもなく、私は第二コーナーを潜り抜けた。お呼びでなかったらしい。
第三は、小説だった。好んで読み漁ることはなかったが、小学生の頃いくらか読んだ記憶はあった。ここ最近はめっきり機会がなかった。先ほどまでとは打って変わり、私の視線は狩人のそれになっていた。ただ自分が知っている作家の名前を、五十音を頼りに、他の棚の三倍はあろうかという広さで覆い尽くす小説の数々から、これまた大雑把に見回していくだけの流れ作業だった。その作業自体に感慨はなかった。が、発見はあった。その棚には隙間があった。ぽつりぽつりと、不規則に、元いた居場所を確保するための欠けがあった。誰かに借りられていたのだろう。読書、というと往々にして小説が想起されるのは、どうも私に限った話ではなかったらしい。いわゆる人気ジャンルに違いなかった。
読んだことのある作品の有無を確認し終えたら、次は題名や装幀の独創性に注目してみることにした。小説は、それ自体が作品になり得るわけだから、他より一層凝ったものにしようという力学が働くのは、当然といえば当然だった。したがって力があって場があった。気圧されこそしなかったが、どこか名伏しがたい引力が差し迫っていた。だからといって借りて読もうなどとは思わなかった。それは私が興味と気紛れだけで目を動かしていたことの証左だった。素人目に品評などする気にもなれず、ただ暇を黒目で転がすだけだった。それは事によれば、私の惰性を象徴していたのかもしれなかった。帰り道を人生に、人生を枝木に喩えるのと同じように、そんな至極つまらない感傷を抱いていた。
が、目が止まった。瓦のような文庫本に寄り掛かられながら、煤けた色合いの上製本が隅に佇んでいた。見下ろすように凝立していた。ラミネート越しにも判る汚れ具合。ずぶりと暗がりに溶け込む様は、それが相当に年季の入った代物であることを示していた。土くれに眠る化石のようだった。釘付けだった。驚きよりも疑問が先立った。なぜ、あんなところにあったのだろうか。にわかに好奇心をくすぐられた私は、恐る恐る、まずは真正面から対峙することに決めた。たちまち視野を窄めてみるも、題字は年月に掠められ確認できなかった。強いて取り沙汰するなら、どうやら英語で書かれていたようだった。同じ層には、ほとんど隙間なく海外文学が埋まっていた。版元はまちまちだったが、どれもが教科書に載るような名著の、翻訳ものだった。だから、この化石も同様の生まれなのだろうと推測は立てられたが、それでもなお原語版らしいことを説明するには足りなかった。
手を伸ばした。指先が、裏表紙に張り付く気泡に触れた。泡というには些か硬かった。ぱりっとした感触を掴みながら、岩壁から引きずり出すような動作で、勢いよく胸元へと手繰り寄せた。見付きに合わず量感があった。塵を素手で触っている心地が湧いてきたのもあり、早く手放してしまいたいというのが正直なところだった。途端。息を吹き返したかのように、束ねられていた頁の中から、百はあろうかというほどの紙切れがばらけ落ちた。咄嗟の反応で掬い上げようと試みたが、落葉さながら指と指の間をすり抜けていった。大袈裟な音を撒き散らしたのち、足元には幾らもの紙片が降り敷いていた。ぶら下げた心臓の赤さを押し込めながら掻き集めていたが、恥も外聞も捨て切れず屈む姿は惨めに思えた。同時に、このような状況を招いた手元の本に対し、紙切れに対し、依然降り止まぬ雨に対し、やりきれない苛立ちを覚えた。脇にうずめた紙屑どもを睨みつけた。すると驚いたことに、その紙面には、侵略的なほど黒く、乱暴な字が塗り殴られていた。目を凝らさなければ、およそ字だとも判別のつかないほどだった。日本語だった。ここでもやはり疑問が先に立ちのぼった。さらに注視すれば、それが物語の一場面をえがいているのだと判った。前置き一つもなしに、外国人男女のじめじめとした口喧嘩が繰り広げられていたのだ。が、どうにも文が拙かった。具体的には、直訳じみていた。そこまで思い至ったとき、私の手は、件の本をこじ開けていた。
的中だった。これは翻訳だ。この得体の知れない英字小説が、何者かの手によって解読された、その形跡に違いなかった。それも各頁ごと、何枚もに分けて、挿し込まれていたのだった。そして今、私がすべてばらばらにしてしまった。知らなかったとはいえ、過ちは確かだった。ため息混じりに本を閉じた私は、今にもこぼれ落ちそうなピースたちを握りしめて、あの退屈な長机の方へと歩いていった。ジグソーパズルのようだ、と何だか可笑しくなって、ひとり自嘲気味に俯きながら椅子に腰掛けた。
周りは私のことなど歯牙にもかけず、読書か勉強に没頭していた。なので私も、なりふり構わず作業に向き合うことにした。この貴重な放課後の時間を、名も知らぬ誰かの名誉のために、差し出すことに決めた。一度すべての紙片を机上へ出してみると、その数の多さに圧倒されてしまった。紙は二種類。罫線が緑のものと青のものとがあった。察するに、訳出の最中に片方が尽きてしまったのだろう。そこまでして手書きでの全訳だなんて非効率なことをする意味が、果たしてあったのだろうか。そう思いかけるも、その復元に手探りで時間を費やしている自身のことも、やはり同じ穴の狢に違いないと了解せざるを得なかった。そこでまずは、色ごとに分類してみた。なまじ色が似ているぶん、注意散漫に取り組んでいたら何度か間違えてしまったが、数に反して案外に、難なく終わらせることができた。わざとらしく一息ついた。顔を上げると、そこには相変わらず、窮屈そうに独座する優等生らと、窓の外にへばり付く雨粒とがあった。逸らすついでに、視線を、目下の英本へと落とした。
この数百頁の隙間すべてに、英語と日本語訳とが対応するように、栞を挟んでいかなければならないのだった。対応する頁番号が明記されていれば話は早かったのだが、どうやら事はそう上手く運ばないようで。まず、日本語の文章の方を読み、おおよその原文を推測し、膨大な頁の中から、真に対応する原文を探し当てなければいけなかった。言ってしまえば、ほとんど通訳の仕事に相違なかった。英語の成績はさほど良くなかった。にもかかわらず、乗りかかった舟ということで、誰から頼まれたわけでもなしに、こんな大仕事を背負い込んでしまっていた。そんな自分に、不遜にも登山家の背中を重ねて、さも獣道をいくこの途方もなさが、むしろ自らを奮い立たせてくれた。道は長い方が走りやすい。確かに、疲れはするし、時間もかかる。先行きが見えないことに不安を覚えるのかもしれないが、私は逆だ。果てが見えてしまっては、そこへ辿り着くまでに自分の背負うものすべてを、逆算せざるを得なくなってしまう。本来であれば道すがら増やしていく荷物を、私だったらば一歩目より背負ってしまうのだ。であれば、元より足元だけを見ていれば、余計なにもつは抱えずに済む。そこに展望はない。がしかし、希望がある。いつかは必ず終わるはずだ、という仄かな希望が…………。
ほら。実際、こうして着々と作業は進んでいっていたのだから。何一つとして問題はなかった。文頭の単語を照らし合わせるだけでも大体の見当はつくので、想定していたよりは、そう難航しなかった。一種の暗号解読のようなものだった。学校で課されるような演習とはまるで違って、違うからこそか、もしかすれば、そこに私は、微かな喜びと達成感とを見出していたのかもしれない。つゆにも自覚をしないまま、黙々と、淡々と、粛々と、図書室の床面に溶け出す気分で、目、指、顔、の順番で機械的に繰り返していた。目蓋に伸し掛かっていたのは雲の重さだった。硝子窓の向こうで低く垂れ込める雨雲の重圧だった。負けじと目蓋をもたげて、相変わらずの単純作業を行ううちに、気の付くことがあった。
一つは、主人公が可哀想だということ。人並みの幸福を手にしていくうちに、幸福それ自体は輪郭を失っていき、一廉の不幸に身をやつしていくうちに、人生そのものの意義について疑問を抱くようになってしまう…………言ってしまえば、ありふれた一喜一憂なのだが、最大の悲劇は、彼が、自身を幸福であると度々諦めていることだった。水の満ちた花瓶を思わせる、その監獄的な幸福がある限り、彼にとって真の意味での幸福とは、永久に隔たれてしまった。それも一つの幸福の形なのかもしれなかったが、どうにも私には、彼が幸福であるようには見えなかった。それは誰かの描いた模様であって、彼自身の織り成す模様ではなかった。
一つは、私が主人公を羨んでいたということ。物語の外から見える姿がどのようなものであれ、彼は確かに、現実の仕方で幸福を手にし、やがて幸福の中に埋没していった。これを彼は、完璧な人生とまで言ってみせたのだ。であれば、私のような凡人が、どこか後ろ暗い気持ちもありながら、しかし抗いがたく惹かれてしまうのも必然だった。正しい人生というのは、電燈にも似た輝きを帯びていた。私が幸福か否かなどは今決められることではない。その判決は、もっと先の、多くの人間関係に絡め取られて、身動きも取れず、取り返しがつかなくなってからに待っているはずだ。
そして一つは、翻訳を残した人物が、私とは違う気持ちで読んでいたということ。訳文の脇には時折、散文的で臨場感のある感想が残されていた。多くは主人公への批判めいた励ましや、彼を取り巻く女性陣への直接的な罵倒だった。しかし、後半にいくにつれ、主人公の人生を、主人公と同様に肯定するような文言へと変わっていっているのが見て取れた。私の前に読んだこの人物は、おそらく幸せだったのだろう。自分の幸福の形を知っているから、他人の幸福にも寛容だったのだろう。私には到底受け入れがたかった。それは自ずと、私が幸福でないことを意味していた。フィリップは私だった。始まりこそ非凡な困難を抱えていたものの、彼の人生は、私と同じく平凡なものであった。私はこの平凡をこそ不幸と考え、また、傷一つとしてないかんぺきな作品と考えた。しかし、翻訳者は違った。彼の不格好な人生を容認しない、そのような反発の意気が、メモからは感じ取られた。英語で書かれた文章を、ただ読めるよう日本語に直しただけの翻訳ではなかった。原文の著者、ウィリアム某ががどのような気持ちで、この作品を書き上げたのかは知る由もなかったが、少なくとも翻訳という工程のうちに、翻訳者自身の物語が確かに宿っていた。
一人の書き手によって紡がれた物語が、また別の一人の読み手によって、全く違う一つの物語へと織り直されていく。時間が流れる以上、読み手がいる以上、残酷ではあれど小説は絶えず模様を変えていく。その模様こそが物語。織り目には読み手の人生があった。それをこうした形で、後の世の私という存在に読み直されたのだから、この翻訳も、新たな物語と言っていいだろう。読み手でありながら書き手となった、顔も名前も知らない…………きっとこの先も知ることのない誰かの物語は、幾年もの歳月、発掘のときを待って、ただ静かに、図書室の息遣いに潜んで眠っていたのだった。日の目をみる、というには生憎の荒天だったが、少しでもロマンチックな目覚めであったと願うばかりだ。
ふっ、と、誰かに、背中をなでられた心地がした。通行人と接触したわけではないことは、振り向くまでもなく理解できた。そよ風のような心地。私の胸の内には、新しい風が吹いていた。
私には私の人生がある。他の誰とも違う物語がある。いくらでも代わりはきく。かけがえのない、と言えるほど非凡で、価値のある人生を送れているとは思わない。だからといって、何も生み出せないわけではない。誰かの抱く物語とは、ただ違うというだけで、価値のあるものなのだと思う。だったら、書かなきゃ嘘だ。私にしか書けない物語があるというのなら、ここに書き残しておこう。だいたい、ミルドレッドに対しては言いたいことが数え切れないほどあるんだ。フィリップに関しても、私はもっと意地の悪い口調にすべきだと思うし。どうにも私の中の人物像と、この誰かの解釈を通じた像とでは違うらしい。私の人生は、ここにあったんだ。
ふと見上げれば、雲はほんのり青みがかって、切れ間からは真っ白い陽の光が、室内を照らすように差し込んでいた。雨はまだ止んでいなかった。ぱた、ぱた。と粒ぞろいに落ちていく音だけがこだましていた。目の前に広がる木造りの長机。その表面に描かれた、絵の具のように生き生きとうねる木目の形が、その雨粒の滴り落ちた先の波紋を思わせた。周りの生徒らは、私の入室前とは何人か顔ぶれが変わっていたものの、皆が皆、飛び出さんばかりの勢いで視線を動かしていた。蔵書のすべてが違った色合いで響き合っていた。
ひとまずは、この英本を借りることにして、そのあとはどうしようか。特に理由はないが、今日の図書室での出来事を書いてみることにした。これも、私の人生なのだから。
このおはなしはここでおしまいです。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
ミズハナ
うす黒い重力を連れ立った夕立から逃げるようにして、三年間ついぞ訪れるはずのなかった図書室へと足を踏み入れた。なんとも手狭な深林だった。林立する頁という頁が、表紙の圧に負けじと、背表紙の拘束に屈しまいと、精一杯の呼吸を震わせていた。そんな鬱蒼とした臭いをよそに、やけに退屈な木造りの椅子には、知らない他学年の人が疎らに乗っていた。あたかも自分の所有物であるかのように乗っていた。なるほど。居心地が悪いとはこういうことか。私の胸に差し込んできた嫌気を遮るように、しかし、硝子窓を叩く雨垂れの音が、私の踵の返すのを許さなかった。教室はどこも懇談で使われていた。視聴覚室も体育館も他の部に占拠されていた。外には当然、出られなかった。
観念した私は受付に会釈を返して奥の方へと進んだ。児童書、学習漫画、環境問題の解説書。いかにも教育的な一角を横目に歩いていれば、いつの間にか、実用書を蓄えた書棚に挟まれていた。用立ては無論なかったのだが、しきりに響く雨音が耳に入ると、その場を離れようなどとはとても思えなかった。冷めた視線を一冊一冊に、大雑把に向けていった。どれも、おおかた職業紹介にとどまった内容だろう、と断ぜられるほどに軽い題を背負っていた。未だ将来設計の一つも立っていない中学生には、何よりもまず選択肢を広げることが先決だ、という有難い示唆に違いなかった。当然、私にも宛てられていたのだが、生憎関心の外にあった。確固たる指針も持たず、ただ漫然と擦り減らす日々に、これといった確証もなく、私は一種の心地よさを覚えていたのだった。焦りはなかった。学校が、社会が、年齢が、それを許してくれた。大きな流れの中で委ね揺蕩う捨身こそが青春1
を意味していた。要は、甘えだった。
振り返ってみても感想は同じだった。惹かれるものは特になかった。ただ整然と並べ立てられているだけの家具。それにしか見えなかった。鈍い自然光すら通さずに、真上の蛍光灯だけがしつこく落ちてくる様は、博物館の展示室を思わせた。不思議と隔たりがあった。早々に私は裏路地にも似た小径を抜け、すぐ隣の第二の隙間へと身を滑り込ませた。実用書の次は思想書だった。さも哲学が実用的でないとでも言いたげな表示だった。暇を持て余して物色してみたが、見慣れぬ単語の羅列による目滑りは酷いものだった。聞き馴染みのある哲人の名前も、やはりどこか高尚な修飾がなされていたために、どうにも手に取る気にはなれなかった。己の無知を責め立てられている気にさえなった。その足りなさを恥じるわけでも埋めるわけでもなく、私は言い訳じみた態度で目を逸らしてしまった。
その先には歴史書が年代順に並んでいた。歴史の成績は悪くなかったのだが、視界に数千年もの事跡が収まっていると思うと、興味よりも、むしろ途方もない畏怖が勝った。ただ見上げることしかできなかった。郷土や民俗学に関する書冊もまた同様の棚に敷き詰められていた。少し離れたところには心理学や宇宙物理学、時事問題など幅広く取り扱った箇所もあった。が、あることだけを認知したのち、特別何か目をやることもなく、私は第二路地を潜り抜けた。お呼びでなかったらしい。
第三は、小説だった。好んで読み漁ることはなかったが、小学生の頃いくらか読んだ記憶はあった。ここ最近はめっきり機会がなかった。先ほどまでとは打って変わり、私の視2
線は狩人のそれになっていた。ただ自分が知っている作家の名前を、五十音を頼りに、他の棚の三倍はあろうかという広さで覆い尽くす小説の数々から、これまた大雑把に見回していくだけの流れ作業だった。その作業自体に感慨はなかった。が、発見はあった。その棚には隙間があった。ぽつりぽつりと、不規則に、元いた居場所を確保するための欠けがあった。誰かに借りられていたのだろう。読書、というと往々にして小説が想起されるのは、どうも私に限った話ではなかったらしい。いわゆる人気部門に違いなかった。
読んだことのある作品の有無を確認し終えたら、次は題名や装幀の独創性に注目してみることにした。小説は、それ自体が作品になり得るわけだから、他より一層凝ったものにしようという力学が働くのは、当然といえば当然だった。したがって力があって場があった。気圧されこそしなかったが、どこか名伏しがたい引力が差し迫っていた。だからといって借りて読もうなどとは思わなかった。それは私が興味と気紛れだけで目を動かしていたことの証左だった。素人目に品評などする気にもなれず、ただ暇を黒目で転がすだけだった。それは事によれば、私の惰性を象徴していたのかもしれなかった。帰り道を人生に、人生を枝木に喩えるのと同じように、そんな至極つまらない感傷を抱いていた。
が、目が止まった。瓦のような文庫本に寄り掛かられながら、煤けた色合いの上製本が隅に佇んでいた。見下ろすように凝立していた。透明越しにも判る汚れ具合。ずぶりと暗がりに溶け込む様は、それが相当に年季の入った代物であることを示していた。土くれに眠る化石のようだった。釘付けだった。驚きよりも疑問が先立った。なぜ、あんなとこ3
ろにあったのだろうか。にわかに好奇心をくすぐられた私は、恐る恐る、まずは真正面から対峙することに決めた。たちまち視野を窄めてみるも、題字は年月に掠められ確認できなかった。強いて取り沙汰するなら、どうやら英語で書かれていたようだった。同じ層には、ほとんど隙間なく海外文学が埋まっていた。版元は区々だったが、どれもが教科書に載るような名著の、翻訳ものだった。だから、この化石も同様の生まれなのだろうと推測は立てられたが、それでもなお原語版らしいことを説明するには足りなかった。
手を伸ばした。指先が、裏表紙に張り付く気泡に触れた。泡というには些か硬かった。ぱりっとした感触を掴みながら、岩壁から引きずり出すような動作で、勢いよく胸元へと手繰り寄せた。見付きに合わず量感があった。塵を素手で触っている心地が湧いてきたのもあり、早く手放してしまいたいというのが正直なところだった。途端。息を吹き返したかのように、束ねられていた頁の中から、百はあろうかというほどの紙切れが散け落ちた。咄嗟の反応で掬い上げようと試みたが、落葉さながら指と指の間をすり抜けていった。大袈裟な音を撒き散らしたのち、足元には幾らもの紙片が降り敷いていた。ぶら下げた心臓の赤さを押し込めながら掻き集めていたが、恥も外聞も捨て切れず屈む姿は惨めに思えた。同時に、このような状況を招いた手元の本に対し、紙切れに対し、依然降り止まぬ雨に対し、やりきれない苛立ちを覚えた。脇に埋めた紙屑どもを睨みつけた。すると驚いたことに、その紙面には、侵略的なほど黒く、乱暴な字が塗り殴られていた。目を凝らさなければ、およそ字だとも判別のつかないほどだった。日本語だった。ここでもやはり4
疑問が先に立ちのぼった。さらに注視すれば、それが物語の一場面を書いているのだと判った。前置き一つもなしに、外国人男女のじめじめとした口喧嘩が繰り広げられていたのだ。が、どうにも文が拙かった。具体的には、直訳じみていた。そこまで思い至ったとき、私の手は、件の本をこじ開けていた。
的中だった。これは翻訳だ。この得体の知れない英字小説が、何者かの手によって解読された、その形跡に違いなかった。それも各頁ごと、何枚もに分けて、挿し込まれていたのだった。そして今、私がすべて台無にしてしまった。知らなかったとはいえ、過ちは確かだった。ため息混じりに本を閉じた私は、今にもこぼれ落ちそうな欠片たちを握りしめて、あの退屈な長机の方へと歩いていった。ジグソーパズルのようだ、と何だか可笑しくなって、ひとり自嘲気味に俯きながら椅子に腰掛けた。
周りは私のことなど歯牙にもかけず、読書か勉強に没頭していた。なので私も、なりふり構わず作業に向き合うことにした。この貴重な放課後の時間を、名も知らぬ誰かの名誉のために、差し出すことに決めた。一度すべての紙片を机上へ出してみると、その数の多さに圧倒されてしまった。紙は二種類。罫線が緑のものと青のものとがあった。察するに、訳出の最中に片方が尽きてしまったのだろう。そこまでして手書きでの全訳だなんて非効率なことをする意味が、果たしてあったのだろうか。そう思いかけるも、その復元に手探りで時間を費やしている自身のことも、やはり同じ穴の狢に違いないと了解せざるを得なかった。そこでまずは、色ごとに分類してみた。5なまじ色が似ているぶん、注意散漫
に取り組んでいたら何度か間違えてしまったが、数に反して案外に、難なく終わらせることができた。わざとらしく一息ついた。顔を上げると、そこには相変わらず、窮屈そうに独座する優等生らと、窓の外にへばり付く雨粒とがあった。逸らすついでに、視線を、目下の英本へと落とした。
この数百頁の隙間すべてに、英語と日本語訳とが対応するように、栞を挟んでいかなければならないのだった。対応する頁番号が明記されていれば話は早かったのだが、どうやら事はそう上手く運ばないようで。まず、日本語の文章の方を読み、おおよその原文を推測し、膨大な頁の中から、真に対応する原文を探し当てなければいけなかった。言ってしまえば、ほとんど通訳の仕事に相違なかった。英語の成績はさほど良くなかった。にもかかわらず、乗りかかった舟ということで、誰から頼まれたわけでもなしに、こんな大仕事を背負い込んでしまっていた。そんな自分に、不遜にも登山家の背中を重ねて、さも獣道を拓くこの途方もなさが、むしろ自らを奮い立たせてくれた。道は長い方が走りやすい。確かに、疲れはするし、時間もかかる。先行きが見えないことに不安を覚えるのかもしれないが、私は逆だ。果てが見えてしまっては、そこへ辿り着くまでに自分の背負うものすべてを、逆算せざるを得なくなってしまう。本来であれば道すがら増やしていく荷物を、私だったらば一歩目より背負ってしまうのだ。であれば、元より足元だけを見ていれば、余計な心配は抱えずに済む。そこに展望はない。がしかし、希望がある。いつかは必ず終わるはずだ、という仄かな希望が————。6
ほら。実際、こうして着々と作業は進んでいっていたのだから。何一つとして問題はなかった。文頭の単語を照らし合わせるだけでも大体の見当はつくので、想定していたよりは、そう難航しなかった。一種の暗号解読のようなものだった。学校で課されるような演習とはまるで違って、違うからこそか、もしかすれば、そこに私は、微かな喜びと達成感とを見出していたのかもしれない。つゆにも自覚をしないまま、黙々と、淡々と、粛々と、図書室の床面に溶け出す気分で、目、指、顔、の順番で機械的に繰り返していた。目蓋に伸し掛かっていたのは雲の重さだった。硝子窓の向こうで低く垂れ込める雨雲の重圧だった。負けじと目蓋をもたげて、相変わらずの単純作業を行ううちに、気の付くことがあった。
一つは、主人公が可哀想だということ。人並みの幸福を手にしていくうちに、幸福それ自体は輪郭を失っていき、一廉の不幸に身をやつしていくうちに、人生そのものの意義について疑問を抱くようになってしまう————言ってしまえば、ありふれた一喜一憂なのだが、最大の悲劇は、彼が、自身を幸福であると度々諦めていることだった。水の満ちた花瓶を思わせる、その監獄的な幸福がある限り、彼にとって真の意味での幸福とは、永久に隔たれてしまった。それも一つの幸福の形なのかもしれなかったが、どうにも私には、彼が幸福であるようには見えなかった。それは誰かの描いた模様であって、彼自身の織り成す模様ではなかった。
一つは、私が主人公を羨んでいたということ。7物語の外から見える姿がどのようなもの
であれ、彼は確かに、現実の仕方で幸福を手にし、やがて幸福の中に埋没していった。これを彼は、完璧な人生とまで言ってみせたのだ。であれば、私のような凡人が、どこか後ろ暗い気持ちもありながら、しかし抗いがたく惹かれてしまうのも必然だった。正しい人生というのは、電燈にも似た輝きを帯びていた。私が幸福か否かなどは今決められることではない。その判決は、もっと先の、多くの人間関係に絡め取られて、身動きも取れず、取り返しがつかなくなってからに待っているはずだ。
そして一つは、翻訳を残した人物が、私とは違う気持ちで読んでいたということ。訳文の脇には時折、散文的で臨場感のある感想が残されていた。多くは主人公への批判めいた励ましや、彼を取り巻く女性陣への直接的な罵倒だった。しかし、後半にいくにつれ、主人公の人生を、主人公と同様に肯定するような文言へと変わっていっているのが見て取れた。私の前に読んだこの人物は、おそらく幸せだったのだろう。自分の幸福の形を知っているから、他人の幸福にも寛容だったのだろう。私には到底受け入れがたかった。それは自ずと、私が幸福でないことを意味していた。主人公は私だった。始まりこそ非凡な困難を抱えていたものの、彼の人生は、私と同じく平凡なものであった。私はこの平凡をこそ不幸と考え、また、傷一つとしてない平坦な作品と考えた。しかし、翻訳者は違った。彼の不格好な人生を容認しない、そのような反発の意気が、メモからは感じ取られた。英語で書かれた文章を、ただ読めるよう日本語に直しただけの翻訳ではなかった。原文の著者、ウィリアム某ががどのような気持ちで、この作品を書き上げたのかは知る由もなかっ8
たが、少なくとも翻訳という工程のうちに、翻訳者自身の物語が確かに宿っていた。
一人の書き手によって紡がれた物語が、また別の一人の読み手によって、全く違う一つの物語へと織り直されていく。時間が流れる以上、読み手がいる以上、残酷ではあれど小説は絶えず模様を変えていく。その模様こそが物語。織り目には読み手の人生があった。それをこうした形で、後の世の私という存在に読み直されたのだから、この翻訳も、新たな物語と言っていいだろう。読み手でありながら書き手となった、顔も名前も知らない————きっとこの先も知ることのない誰かの物語は、幾年もの歳月、発掘のときを待って、ただ静かに、図書室の息遣いに潜んで眠っていたのだった。日の目をみる、というには生憎の荒天だったが、少しでもロマンチックな目覚めであったと願うばかりだ。
ふっ、と、誰かに、背中をなでられた心地がした。通行人と接触したわけではないことは、振り向くまでもなく理解できた。そよ風のような心地。私の胸の内には、新しい風が吹いていた。
私には私の人生がある。他の誰とも違う物語がある。いくらでも代わりはきく。かけがえのない、と言えるほど非凡で、価値のある人生を送れているとは思わない。だからといって、何も生み出せないわけではない。誰かの抱く物語とは、ただ違うというだけで、価値のあるものなのだと思う。だったら、書かなきゃ嘘だ。私にしか書けない物語があるというのなら、ここに書き残しておこう。だいたい、ミルドレッドに対しては言いたいことが数え切れないほどあるんだ。フィリップに関しても、私はもっと意地の悪い口調にすべ9
きだと思うし。どうにも私の中の人物像と、この誰かの解釈を通じた像とでは違うらしい。私の人生は、ここにあったんだ。
ふと見上げれば、雲はほんのり青みがかって、切れ間からは真っ白い陽の光が、室内を照らすように差し込んでいた。雨はまだ止んでいなかった。ぱた、ぱた。と粒ぞろいに落ちていく音だけがこだましていた。目の前に広がる木造りの長机。その表面に描かれた、絵の具のように生き生きとうねる木目の形が、その雨粒の滴り落ちた先の波紋を思わせた。周りの生徒らは、私の入室前とは何人か顔ぶれが変わっていたものの、皆が皆、飛び出さんばかりの勢いで視線を動かしていた。蔵書のすべてが違った色合いで響き合っていた。
ひとまずは、この英本を借りることにして、そのあとはどうしようか。特に理由はないが、今日の図書室での出来事を書いてみることにした。これも、私の人生なのだから。10