星と雪

「ね。そんなにいいもんじゃないでしょ?」

白んだ吐息が夜に溶ける。失った熱は鼻先に覆い被さる。

「なかなか見れない。こんな眩しい雪」

マフラーに絡まる彼女の唇は季節外れに艶があった。けれど不思議と、そこに生気を感じられなかった。約一年間――――いつだって彼女からは、そうしたものを感じられたことは、なかった。高一の二学期に転校して来たはいいものの、高二の三学期が始まってすぐに、今度は学校を辞める、と。親の都合なのだろうか。なんとも忙しい生き方をしているものだ。

「見れないは……ま、そうだけどさー。わざわざ見に来るほどの価値あるのって話。こんなさっむい夜中、家抜け出してまでさー」

「この季節、この時間、この場所でないといけないから。うん…………よし。思っていたとおり、いい感じ」

彼女が指差す方。そこには電灯の鈍い光と一面に降り敷いた雪とで飾られた、人もいなければ遊具もない、なんてことのない広場の公園。

「日中も夕方も子供たちが使っているから、こんなにガラガラなの新鮮」

「これが見たくて、わざわざ呼び出したってわけ? 何したいんか、なーんも知らないまんまだったけど、見て終わって帰る感じ?」

「いいえ、ここからが本番」

 やおら背中を垂れ下げた彼女の手にあったのは、さきほどまで靴にまとわりついていた、泥と土と枯れ草とが混じった雪の塊。それをあろうころか、わたしの顔めがけて放り投げて来たのだ。状況は飲めた。理由は不明だけれど、どうやら彼女は雪合戦がしたいらしい。中高四年とハンドボール部なのだから、こういった球技は得意中の得意だ。

「やったなー、こっちも顔狙ってやるーっ!」

わざとらしく悪党めいたセリフを吐きながら、こちらも彼女の顔めがけて白い球を放り投げた。けれども狙いは大きく外れて、その横に構えてあった手編みの手袋へぶつかった。

「甘い! もう一発で当て、て……や………………」

 二投目の寸前に、わたしは目を疑った。手袋が、ふっ、と落ちて、コートの袖口が、だらん、と垂れて、その中から、雪みたいに真っ白い断面が、まるで、生きているかのように、確かに、この目に映っているのだ。見たことをそのまま表すとするなら、わたしの当てた雪玉が、彼女の手を吹き飛ばした――――そんな馬鹿らしい、夢でも少しはマシな嘘をつくというようなほど、にわかには信じがたい現象が、今、目の前で起こっている。これは夢だと言ってほしくて、彼女の顔を覗き込む。

 彼女の顔は、なんだか諦めたような、けれどもどこか許しを求めるような、小鳥の顔をしていた。まるで、はじめからこうなるはずだった、とでもいわんばかりに…………。

「あーあ、もう少し上手くやるつもりだったのだけれど。一発目からこれかぁ。ごめんなさいね」

「ごめんも何も、何なの……? あんたの、その、カラダ……?」

「そう、これが私の体。体というか私そのもの」

「つまり、あんたは、雪女……って、こと?」

「そんな他人を妖怪扱いだなんて! 心外。心はきちんとあるのに」

「じゃあ訊くけど……、あんたは一体何者なの?」

 彼女は身につけていたすべてをそのまま脱ぎ捨て、そのカラダの全貌を見せてくれた。氷の彫像。そう形容するのが最も自然かと思われた。生気などあるはずがない。生きているのが不思議なくらい、透き通ったカラダからは、皮膚や内臓、骨、血脈、神経、そういった、生き物であれば当たり前に持っているモノが、まるで一切見えなかった。

「どう? 驚いてくれた?」

「さすがに……いや、えぇ…………」

 混乱のあまり言葉と思考が結びつかない。そんな渦に呑まれっぱなしのわたしをよそに、彼女は淡々と説明を続ける。

「私ね、雪の光。雪から出る眩しい光。あれが私……のもと。雪の放つ光はとっても微弱。だから何百年もかけて、こういう生命のかたちになるまで、ひたすら海と陸をさまよい巡って、毎年毎年、誰にも気づかれないよう光り続けて…………そうしていくうちに、あなたみたいなヒトのカタチになれる。そういう生き方。生き方? とにかくそういうモン」

「……そこはもう観念して飲み込むわ。ツッコミどころ多すぎるし。じゃあさじゃあさ、ここに連れて来た理由…………もっと言ったら、なんで、今日、この時間に、この場所じゃなきゃダメだったの? なんで?」

「今日しかなかったから。それが理由」

「説明になってないじゃん……それ」

「明日から春休み。それが明けたら学年が変わるでしょう? なら、いなくなるのにはちょうどいい頃合いかなって。あと、今年の春は、もう越せなさそう」

「去年の春はフツーにしてたじゃん」

「そこで使い切った。エネルギー……防護壁……どれも違うか。私の体を覆っていた晶皮。これがないと、春が越せない。冬が終わると、そのまま終わってしまう。そもそも雪はそういう短命なモノなのだけれど、そこに一年ばかしの猶予が、数百年に一度、与えられる。大抵のものにはなれる。木にもなれる。川にもなれる。空にもなれるし、花にもなれる。どれも魅力的だった。けれども、私は、ほんの気まぐれで、ヒトのカタチを選んだ。ヒトになろうとした」

「………………なってたよ」

 言うに事欠いて、ではない。まがいなりにもヒトになろうとした彼女が一年間突き通した誇り高き嘘に、賞賛を贈るために。その証を認めてやれるのは、今のわたし以外をおいて他に存在しないのだから。

「なれてた、か……。なら、よかった」

噛み締めるように、月は見えないのに、彼女は空を見上げた。空は、いやにドロっとした閑けさに包まれていた。

「たぶん。もう明日の朝には溶けて無くなっちゃう。そこで一生のお願い」

ふわりっと体勢を整え直して、ついさっきこぼれ落ちた左手を差し出して、彼女は…………

「私を壊して。日に照らされて緩やかに溶ける、それもいい。けれどもね、私も今はヒトなんだ。自分の死に方を選べる。これがヒトの幸せ、そうでしょう? こんなんでもヒト並みの欲望は持っているというわけさ」

なんて…………悲しい幸せ。人の幸せは、死ぬまでに、それはもうたくさんあるはず、だと、いうのに。

「私は、そんな緩やかな死でなくてね。もっと激しい終わりが欲しかったの。欲しいと、思えるようになったの。あなたたちとの春は賑やかだった。夏は楽しかった。秋は心地よかった。冬はいつもより面白かった。ずとずっと忙しかった。急いでいた。激しかった。それがヒトの生き方。自分がどう死にたいか選ぶため…………いや、あるいはそんなことも考える暇もないまま、ただ明日がいい日になることを楽しみに、ただ前だけを向いて走っていく。そんな苛烈な生き方に、私は憧れたの」

「なら、もっと生きる……っていうのは? ヒトとしてもっと生きられるんなら、あんたの願いは……もっといい形で叶うんじゃないの?」

 それが叶うのならば、と彼女の透明色の顔に書いてあった。

「壊し方は、あなたのお好きなように。焼いてもよし、粉々に砕くもよし。あ、あ、けれども、朝まで壊さず待つ…………だけはやめて。意味ないから」

「……意味なら、あるよ」

「?」

少しでも長く一緒にいられる…………そんなわがままを口走ってしまうところだった。遅かれ早かれ溶ける命。その行く末を、幸せを、決めるのはわたしではない。決して、わたしなんかではない。

「いや、春と夏はさ、冷凍庫に入れといて、そんで冬になったら出て来てもらって、冬でだけ活動する……って名案、思いついた。それならどう? なんかイケそうじゃない?」

「試した。無理だった」

 帰って来たのは、これ以上ないほど淡白で、そっけなくて、けれども現実的な回答だった。ああ…………破滅願望というのは、こうも眩しく映るものなのか。

「さあ、観念して私を壊しておくれ。それしか道はない」

「そもそもさ、壊せるものなの?」

「あー……なら左腕を軽く叩いてみて」

ひどく冷たい氷晶の腕を、厳かな手つきで握り、そして片手で軽く押した。すると不思議なくらい滑らかに、すとん。と指の触れた部分が剥がれて、そのまま地面に落ちて割れた。彼女は「ほらね?」と誇らしげな目を向けているけれど、全くもって嬉しいことではない。

「早くしないと夜が明けるよ。幸い、というか狙ったのだけれども、ここは夜そう滅多に人が来ないから、何したって怒られない」

「その前に、一つ…………」

 聞いておくべきことを。

「なんで、わたしなの?」

学校の中には大勢の人がいた。彼女は転校生ということもあって、物珍しさからか、多くの同級生を引き寄せ、結果的に多くの友人に恵まれていた。わたしも、その一人だと自負している。けれども、裏を返せば、わたしは大勢いるうちのたった一人にしか過ぎないのだ。自分の生き死にを決める相手…………生き物の死が一人の人間に決められるほど軽いものではない、と彼女自身が誰より理解しているはずなのに…………そんな使命を、いとも簡単に、身勝手に、わたしという一人の人間に、与えたのは、いったいなぜなのか。それだけは、彼女を壊してしまう前に、聞いておかなければならなかった。

「あなたの熱が、誰よりも眩しかったから」

 雪が眩しい。その熱が、誰に向けられたものかを、彼女は知らぬまま壊されてしまう。もっとも、壊すのは自分だけれども。それでも、わたしの心にあったのは「それでよかった」という安堵ただ一片だけだった。

「……………………なら、いいや。いいよ。わたしがあんたを壊してあげる。それも飛びっきりキツいやり方でね!」

「痛いのはやめてよね。まぁ、痛覚もとっくに失われているのだけれども」

「大丈夫、安心して。フルパワーだから。我慢できないくらい激しいヤツお見舞いするから!」

 ひぃ、と叫び回りながらも、彼女の声にもどこか、一片の安堵があった。それはわたしのとは互い違いで、でこぼこで、重ね合わせたらピッタリ隙間なくカタチがつくれそうな、ひとりぼっちの欠片たち。

「じゃあ、準備するから……一応、あっち向いてて……」

夜が色を奪ってくれる。だからきっと気づかれていない。彼女は期待まじりに背を向け待ってくれている。私が服を脱ぐのを待ってくれている。真冬の夜中だからということで、過剰なほど厚着をして来た過去の自分を、ほんの少し恨めしく思う。おかげで取り払うのに時間がかかってかかって仕方がない。わたしの身体を絡めとる、この糸くずの鎧は、わたしという人間を守ってくれていた、生活という鎖だったのだろう。鎖はほどいて、糸はちぎって、わたしの皮膚はささくれていって…………

「もういいよー」

「…………はーい……って、えぇっ⁉ え、うそ……なんで脱いでんの」

「あんたが脱いでるから。わたしも」

「…………死んじゃうよ?」

「これから死のうとしてるあんたには言われたくないよ。そっちが死ぬ覚悟なら、こっちもそれなりの覚悟見せないとね」

 なんて。嘘を嘘で塗り固めた、生クリームのような覚悟。いつも以上に気を張っていないと、たちまち蕩けて瓦解してしまいそうな建前の要塞。本当は、そう…………ただ、彼女のぬくもりを、感じたかったから。

「それじゃ、わたしが後ろで、あんたが前ね。ピンって立って。そう。あ、脇は閉めずに……そうそう。で、でだ。それで、そのまま、その態勢のまんま、ゆっくーり座ってみて。そう。あぁ、いや違う。脚は……うーん……とりあえず三角座りで。はい、それでオッケー」

面白いくらいに言いなりになる彼女を、なんだか可笑しく笑ってしまったけれども、それと同じくらいに、この瞬間が、永遠になればいいのに、なんてバカなことも願ってしまった。願いはいつだって、星にかけるものなのに。雪はもうすぐ、溶けてしまうのに。

「これで、次は、どうすればいいの?」

「いんや、もうあんたの仕事は終わり。あとはわたしが、こうして……こうやって……はい!」

 彼女の脇に空いた隙間から、わたしの腕を通し、彼女の背中に、わたしの胸を押し当て、彼女の脚を、わたしの腿に乗せ、彼女の顔を、わたしの両手で覆い隠した。こんな恥ずかしい姿、とてもじゃないけれど彼女に見られたくなかった。けれども。けれども。恥を晒すのは嫌だけれども、それでも言っておかなければならないことがあった。

「…………わたしも。あんたのぬくもりが、いちばん眩しかった」

「雪の光は、星の瞬きにも勝るということかしら」

「星に手は届かないから。雪なら、抱きしめられるでしょ?」

「そんなことしちゃったら溶けて無くなってしまうでしょう?」

「からだに溶けていくの。世界を回す空気の中じゃなくて」

「あら。一滴もこぼさず吸い取ってくれる?」

「当たり前。なんのためのハグなのさ」

「ふふっ、あなたのからだ、いつもよりぬくいね」

「お互い様でしょ。むしろ、あんたのが伝ってきてんの」

「私、雪なのにね」

「雪は星より眩しいから、ずっと熱いんだよ」

「それじゃ、あなた、焼け焦げちゃう」

「もうとっくに焦がされてる」

「それはそれは。やっぱり雪は星に勝るのね」

「わたしはいつも、あんたを見てた」

「ありがと」

「わたしはいつも、あんたを知りたかった」

「どうして?」

「わたしはいつも、眩しくて、あんたのことを見れなかったから」

「私は見れたけど。いつも激しくいきる星の瞬きも」

「…………」

「私はね、雪の光だから。感情なんて、きっとはじめからなかったのよ」

「ちがう」

「もうわからないけれどもね。だから、あなたを愛している――――なんてことは決してありえない」

「…………そ。よかった」

「星はいつだって、手の届かないところで瞬いていてほしいもの。手を伸ばした先に、いつも瞬いていてほしいもの。だから手に入っちゃつまらない。夢見るくらいが、ちょうどいいの」

「なんだ。気遣って損した。そんなら、わたしの持論はね。雪は積もる。全身くるまれる。そしたら、からだの形が窪みになって残る。他の雪に降られることなく、残っててほしい。だから、遠く離れちゃつまんない。捕まえて離さないくらいが、いいんじゃない」

「ふふっ、とってもむずかしい話。だったら最後の最後まで、答えはわからないわ」

「……最後に、言いたいこと、ある?」

「…………そうね。星はね、長生きなの。だからずっと、瞬いていてね」

「…………さよなら。あんたもね。思ったより、長生きだったよ」

 重ね合わせた肌から重みが消える。代わりに身体が少し、重くなった気がした。途端に吹きすさぶ夜風。水で濡れた裸には堪えるものがあった。ただ、その湿り気が、自分でもどうかと思うくらいに、なんというか、心強くて、いつだって見てくれている、そんな安堵を一つ抱えながら、投げ捨てた服を拾って、わたしは、電灯の植わった雪道を踏みしめて、踏みしめて、踏みしめて、家へ帰った。

 夜空は曇り。星はどこにも見当たらない。林立する電灯の光と雪の光とが、この街を激しく照らしていた……………………

このおはなしはここでおしまいです。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。